【連載】歴史の陰に咲いた言葉たち
「太陽の光を借りて照っている大きな月よりも、
自分から光を放つ小さな灯火でありたいものだ」
── 山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)
この人を知っていますか?
西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬。幕末の英雄といえば、誰もがこの名前を思い浮かべる。しかし明治維新という歴史の大転換を陰で支えた人物の中に、もう一人、忘れてはならない男がいた。山岡鉄舟である。彼が遺した名言の数々は、今なお私たちの心を照らし続けている。
山岡鉄舟(1836〜1888年)。幕末の幕臣でありながら、剣・禅・書の三道を極めた人物。身長六尺(約180センチ)を超える巨躯と泰然とした風格から「幕末の三舟」の一人に数えられた。
しかし彼が歴史に刻んだ最大の仕事は、刀を振るうことでも書を記すことでもなかった。
1868年3月。官軍が江戸に迫る中、山岡は単身、駿府(現在の静岡)の西郷隆盛のもとへ乗り込んだ。江戸城無血開城を実現させるための、命がけの交渉である。勝海舟の名代として出向いたこの男は、西郷と膝を突き合わせ、数十万の人々が暮らす江戸の街を戦火から救った。
しかし歴史の教科書に残ったのは、西郷と勝の名前だった。山岡鉄舟の名は、長らく脚注の中に埋もれていた。
言葉の背景
冒頭の言葉は、晩年の山岡が弟子たちに語ったとされるものだ。
月は美しい。夜空に輝き、人の目を引く。しかしその光は、太陽から借りてきたものだ。自分では一切光を生み出していない。一方で灯火は小さい。風が吹けば揺れ、雨が降れば消えそうになる。それでも、その光は自分の内側から生まれたものだ。
山岡は、権威や地位の光を借りて輝くことを、生涯を通じて拒んだ。江戸城無血開城という歴史的偉業を成し遂げながらも、それを自らの手柄として誇ることはなかった。明治になってからは、西郷隆盛が反乱を起こし処刑された後も、「あの人は日本一の偉人だった」と公言し続けた。時の権力者に媚びることなく、自分の内なる光だけを信じて生きた。
剣の修行においても、山岡は「無刀流」を開いた。刀に頼らず、心で相手と向き合う剣法である。それはそのまま、彼の生き方そのものだった。借り物の力に頼らず、自分の内側を磨き続けること。その積み重ねが、たった一人で西郷隆盛を動かす胆力を生んだ。
歴史の表舞台に立つことなく、しかし誰よりも深く時代を動かした男。山岡鉄舟の言葉は、目立つことへの執着を静かに手放した先に、本当の輝きがあることを教えてくれる。
次回・第2話「敵を友にする言葉」
── 歴史の敗者が語った、勝利より大切なもの ──
📖 連載バックナンバー
- 第1話:山岡鉄舟「月よりも灯火でありたい」(本記事)
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